新381系誕生秘話~その9~

6: ヨンサントオと伯備線

 新幹線接続路線導入派 VS 在来線の幹線導入派  2

1971年1月、東北本線仙台-青森間で591系の試験走行が行なわれ、極めて良好な結果がもたらされていた頃。東京の国鉄本社では、今後建設すべき新幹線路線を定める基本計画が発表されました。
その内容は、盛岡までの東北新幹線と新潟までの上越新幹線の工事着工させ、これらの新幹線と接続する、比較的安易に軌道強化が可能な幹線在来線に振子式列車を投入することで、そのスピード効果を全国に及ぼす、というものでした。

この時点で国鉄内部の形勢は大きく在来線の幹線導入派に傾いていたようで、中央西線や伯備線のような軌道強化に限界があるローカル線は採用されにくく、振子式列車のローカル在来線への導入案は消滅しかけていました。

ところが……東北新幹線の建設が着工された1971年4月の時点で、すでに東北本線の輸送量はピークに達しており、列車の増加による軌道にかかる負担の問題がこの時点で既に問題化されていました。その対策というのが、大宮-青森間の線路規格をその時の輸送量の増加に合わせ2級線(甲線)から1級線(特甲線)に上げ対処させるというものでしたが、実際にはこれらの軌道保線工事が輸送量の増加に追い付けず、スピードダウンによるダイヤの見直しをせざるを得なくなっていたのです。

特にこのような東北本線が抱える差し迫った問題を打破するには、早急に591系の振り子列車を投入し、軌道の負担を軽減する必要がありました。
しかし、ヨンサントオ以降、東北地方の経済発展に合わせて「ひばり」「はつかり」などは増便されており、591系に置き換えた場合の編成数はかなりの数になります。当時の大赤字の国鉄にとって、591系の振り子式列車が軌道の負担を軽減出来ると解っていても、591系投入に必要な予算を確保するのは非常に難しかったのではないでしょうか。

結局、これらの事情から在来線の幹線導入派の591系「ひばり」は実現することが無くなったため、風前のともし火だった新幹線接続路線導入派にも僅かな望みが残されることとなったのでした。

つづく

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