ゴハチ牽引唯一の東京始発ブルートレイン Prat2

寝台特急「いなば・紀伊」が走り始めた1975年3月は、山陽新幹線の博多開業の年でもありました。その影響は東京口のブルートレインに大きく影響されると懸念されましたが、14系「あさかぜ」1往復が廃止された程度にとどまりました。
しかし、それまで20系だった「はやぶさ」「富士」「出雲」が24系になり、その他の「あさかぜ」「瀬戸」も20系から14系や24系に置き換わるかと思われたのですが、20系のまま残されるといったように20系・14系・24系の新旧3系列のブルートレインが混在した年でもありました。

また、この年のダイヤ改正の大きな事件として東京口のブルートレインを除く、全国すべてのブルートレインの牽引機に取り付けるヘッドマークが廃止されたことが挙げられます。何故、東京口のブルートレインのヘッドマークだけが残ったのか理由は分かりませんが、当時の国鉄にとっては文字通り重要な看板列車たちだったことは想像に難くありません。


さて、実は「いなば・紀伊」は東京口のブルートレインの中で唯一ヘッドマークが用意されなかったのは有名ですが、その理由はこんな裏事情がありました。

次回に続きます。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。

  • URLをコピーしました!
目次