出雲路と381系やくも9

米子を発車した列車は宍道を過ぎ、山陰本線とわかれると車窓は一気に里山のローカル線の景色に変わりました。南宍道を過ぎるとまず最初の急勾配区間に入り、山裾を蛇行しながらのキハ52のエンジン音が山間に響き渡るようです。

木次を過ぎると山深さはさらに増し、まさに八岐大蛇の世界感です。さすがに中国山地は険しいなと感じていると突然、視界が開け出雲横田に到着しました。

出雲横田の駅舎には出雲特有の太注連縄があり、素戔嗚と八岐大蛇伝説の旅初めには、とても似合う駅でした。

出雲横田からは前もって予約していたタクシーを利用し、素戔嗚と八岐大蛇伝説の史跡をめぐりました。

まずは、素戔嗚が磐船に乗り、高天原から最初に出雲に降りたとされる船通山を遠くから見て、素戔嗚が八岐大蛇から救った稲田姫が生まれたとされる地の稲田神社に詣でました。奥出雲の鬱蒼とした木々に囲まれた社殿は太古の空気に静かに包まれたまま鎮座していて、出雲大社やその後訪れた他の神社とは全く違った女性的な空気感で、これが奥出雲特有の氣なんだという感覚でした。

その後、八岐大蛇の住みかと言われる天が淵、その首を埋めたとされる八本杉神社を訪れたのですが、比較的開けた木次に近いこともあってか、稲田神社のような太古の氣とは程遠い印象を受けました。この旅の終わりに、娘が素戔嗚の板絵が松江の八重垣神社にあるというので足を運びましたが、この旅の途中、奥出雲の元八重垣神社跡にも寄ることに。この元八重垣神社跡にも松江の八重垣神社よりも小さな鏡の池があり、その池の大きさは姿見鏡程の大きさで、また稲田神社や須我神社にも近いことから、むしろこの元八重垣神社の方が素戔嗚と稲田姫の史実に合っているような気がしました。

上の写真は、この旅から20年後に娘が作った元八重垣神社のジオラマです。現在、元八重垣神社は近くの伊賀武神社に合祀されていますが、20年前に訪れた元八重垣神社跡のイメージで創りあげたそうです。奥出雲の鬱蒼とした木々の間に満開の桜を置くことで、素戔嗚の「吾が御心清々し」の言葉を表現したそうです。

つづく

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