381系誕生秘話~part3~

本日のブログは前回の『381系誕生秘話~part2~』の続きです。

「東北地方の貨物輸送におけるヨンサントオ」

東北道が未貫通だった東北地区の急激な経済発展によって、旅客輸送だけでなく貨物輸送の需要も当然のように拡大し、東北地方でも貨物列車の高速化と輸送量の拡大が急務となっていました。

そこで宮城野貨物駅(現仙台貨物ターミナル)の再整備として、長町-宮城野貨物駅、宮城野貨物駅-東仙台の複線化に着手することに。その結果、コキ10000やコキ50000の高速貨物列車の大増発が可能になりました。しかし、1970年代の東北本線に於いての列車本数は区間によって旅客・貨物合わせて1日230本、平均5分に1本という超過密な状況に陥ってしまいました。

ED75重連による高速貨物牽引

過密ダイヤによって多くの列車が運行することで、予想以上にレールや架線の痛みが早く、レールのひび割れや架線の痛みによる車両トラブルなどが多発するという危険な状況となってしまう事態に。また、通過列車の間隔が短く、これまでの間合いによる保線が難しいという新たな問題も浮上。

国鉄ではこの問題を回避するために、数時間列車を止めて、60kgロングレールを使用し、110キロに及ぶレールの交換やポイントの再改修、カント角の変更による架線の集電の安定などの軌道強化を再度実施しました。

この時点でも上野-仙台間の旅客需要は増え続けていた為、その後のダイヤ改正では軌道への負担を減らすために速度を落としてのダイヤが組まれ、上野-仙台間の特急での所要時間は3時間53分から4時間15分となり、23分の遅延を受け入れなめればならない状態でした。しかし、こうした東北本線の状況が、381系振り子電車の開発に関わることに…

最後までご覧いただき、ありがとうございました。つづきます。

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