本日のブログは前回の『381系誕生秘話~part3~』の続きです。
「国鉄は東北本線のスピードダウンをヨンサントオ時に予測していた?」
1968年の通称ヨンサントオでの東北本線に於ける所要時間の短縮は1978年のダイヤ改正で上野-仙台の所要時間3時間53分から4時間15分へと速度調整をし直されたダイヤに書き換えられ、ヨンサントオに於ける特急列車の速達化は事実上、失敗に終わつてしまったと言ってもいいのかもしれません。
ところが1968年4月の国鉄常務会の資料にはヨンサントオのダイヤのまま、列車本数を増やした場合を推測した内容が記していました。その内容は、最高速度120km/h、曲線制限速度+5km/h、分岐器直線側通過速度100km/hでは、表定速度は85~90km/hが限界である事が提起されていました。
実はこの限界値に当てはまるのがヨンサントオ時の上野-仙台間の特急ひばりで、表定速度89.7km/hとまさに限界値すれすれの速度で走行していました。これは1970年代中盤以降、度重なる軌道の異常が発生した事と関係があります。頻発する軌道のトラブルに対応する為に複数区間での保線工事が行われたものの、電車の方は各区間での徐行を余儀なくされることに。その遅れを取り戻すため、89.7km/h以上の運転を強いられたのでした。
1968年~1978年まで在来線最速の座を誇った特急ひばり。グリーン車2両に食堂車を加えた豪華な編成で東北地区の経済発展に大きく貢献したビジネス特急。「仙台への出張は(東京への出張は)ひばり」でが合言葉だった程だ。
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