ゴハチ牽引唯一の東京始発ブルートレイン Prat7

~DD51牽引14系寝台特急いなば~

4時19分京都に到着したEF58牽引の「いなば」は、その牽引機がDD51にスイッチされ、山陰本線に入ります。実はこの頃の嵯峨嵐山(嵯峨)―馬堀間の新線はまだ未完成で、未電化単線の山陰本線が保津峡沿いにくねくね続いていました。現在はこの旧線を利用して嵯峨野観光鉄道がトロッコ列車を走らせていることで有名です。

4時26分に京都を発車した「いなば」は15分程で、6月末から7月の日の出が早い時期には「いなば」の車窓から初夏の保津峡の渓谷美を見る事が出来ました。さて、この頃の山陰本線は区間によっては線路等級が低い区間も多く、そんな山陰本線をDD51の「いなば」がどのような走りをするのか、停車駅間の表定速度から調べてみました。また、廃止直前の「出雲」も同じように停車駅間の表定速度を調べることで、線路等級の改良があったのか探ってみることに。

まず、京都―米子間の所要時間は「いなば」の下りで6時間29分(途中停車時間合計して22分)表定速度50.1km/h、上りで6時間24分(途中停車時間合計して21分)表定速度50.7km/hの一方、「出雲」の京都―米子間の所要時間は下りで5時間38分(途中停車時間合計して38分)表定速度57.4km/h、上りで5時間23分(途中停車時間合計して29分)表定速度60km/hで、1975年時の「いなば」と2006年時の「出雲」では約1時間の所要時間差があり、表定速度でも10km/h差がありました。

この差を探るために各停車駅間の表定速度で比べた結果、「いなば」「出雲」でほぼ同じぐらいの表定速度だった区間が、綾部―豊岡と鳥取―米子では共に60~70km/h台とかなりの高い表定速度となり、豊岡ー香住間は共に50km/hとやや抑えめの表定速度でした。

一方、「いなば」と「出雲」に差が出た区間は香住―鳥取間で、「いなば」の表定速度が下り30km/h前半なのに対し、「出雲」の表定速度は50km/h台と大きな開きがありました。実はこの区間は海岸線寄りの路線でありながら複数の峠越えのための勾配区間も点在するという複雑な線区。余部鉄橋やスイッチバックの滝山信号所などからも、その複雑さは容易に想像できます。あくまでも筆者の推測でしかありませんが、それなりの軌道の改良がなされた結果ではないでしょうか。

この「いなば」も1978年10月には「出雲」に置き換わり、その「出雲」も山陰本線から伯備線経由に置き換わった「サンライズ出雲」にバトンが引き継がれています。もしも今、島根県に行くことがあり、まだ「出雲」が現役で走っていたら、間違いなく、「サンライズ出雲」ではなく、「出雲」を選ぶのは筆者だけでしょうか。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

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