本日のブログは前回の『381系誕生秘話~part6~』の続きです。
「新幹線接続路線導入派VS.在来線の幹線導入派~その2~」
1971年1月、591系の試験走行が東北本線仙台-青森間で行なわれていた頃、東京の国鉄本社では建設を開始すべき新幹線路線を定める基本計画が発表されました。
その内容は既に決定している山陽新幹線の博多開業に合わせ1976年までに盛岡までの東北新幹線と、新潟までの上越新幹線をそれぞれ開業させるというものでした。
そして、新幹線と振子式列車を連携させ、そのスピード効果を全国に波及させながら、開発中の振子列車はあくまでも新幹線のフィーダーとして使用するという計画でした。これにより、振子式列車の在来線の幹線導入案は消滅。
但し、東北新幹線開業までの東北本線における輸送量の増加による軌道の負担問題がこの時点で既に問題化されており、その対策として大宮-青森間の線路規格をその時の輸送量の増加に合わせ2級線(甲線)から1級線(特甲線)に上げて対処させます。しかし、実際にはこれらの軌道保線工事が輸送量の増加に追い付けず、スピードダウンによるダイヤの見直しをせざる負えなかったのでした。
さて、新幹線のフィーダー特急として1973年に初めて登場したのが591系の量産化車両381系「特急しなの」になりますが、国鉄では非電化路線に於いても新幹線のフィーダー特急の開発を進めていました。
その内容は動力にディーゼルエンジンではなく、航空機に用いられるガスタービンで駆動させるという今までにはない発想の車両で、591系同様に振子式台車を採用し、線路等級が3級線(乙線)で曲線半径が400m以下の路線であっても曲線制限速度のアップが見込めました。形式名には591系同様にキハ391と営業用車両に準拠した形式名が与えられた異例の試験車両です。
振子式ガスタービン試験車両キハ391
国鉄の営業車では新幹線のフィーダー特急第2弾として伯備線の「特急やくも」に振子式ガスタービン車両の量産車投入させ、目玉商品にしたいと考えていました。
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