2024年6月15日の運行を最後に、42年間にわたって山陰と山陽を結ぶ「新幹線のフィーダー特急」として活躍し続けた、国鉄形最後の特急型車両、381系「やくも」が定期運用を終了し、273系「やくも」へとバトンを渡しました。
ここでいう「新幹線のフィーダー路線」とは、新幹線が通っていない地方都市と、新幹線が接続する駅との間を在来線で結ぶ路線のことです。新幹線の持つ速達性を生かしながら、沿線の都市へスムーズに人を運ぶ役割を担っています。
今回のブログのテーマである伯備線は、まさにその新幹線のフィーダー路線にあたり、岡山駅で山陽新幹線と接続して米子・松江・出雲市方面へ向かうフィーダー特急が「やくも」というわけです。
さて、一般的に新幹線のフィーダー路線は、高速走行が可能な比較的線路規格の高い路線が選ばれます。ところが、フィーダー路線として決定された頃の伯備線は、線路等級が4級線(丙線)と低く、新幹線の速達性を生かした特急列車の運行には、あまりにも程遠いものでした。道路に例えると、一般的な新幹線フィーダー路線が、一般道よりも高速で走れるバイパス道路や高速道路だとすれば、当時の伯備線は、岡山と米子の間に立ち塞がる中国山地を横断する「獣道」といっても、決して過言ではないでしょう。

つまり伯備線のフィーダー化とは、そんな「獣道」を、新幹線と接続する高速鉄道路線へと生まれ変わらせることだったのです。そう考えると、これは単なる線路の改良ではなく、予想をはるかに上回る、かなりの大工事だったことが想像できます。
実は、メイクアップシールのデザイン化に際して、381系について様々な資料に目を通したのですが、その資料の中には、伯備線のフィーダー化がどのように進められたのか、そして381系誕生のその裏側など、これまであまり知らなかった、その「舞台裏」を知ることのできる興味深い内容が数多くありました。
また、偶然にも当時の関係者やそのご家族の方々にお会いする機会にも恵まれ、お話を伺うことで、これまでの「381系誕生秘話」では知ることのできなかった、当時の様子をよりリアルな情報も得ることができました。そこで今回、これまで集めてきた資料や、関係者の方々から伺ったお話などをもとに、381系誕生までの知られざる舞台裏をご紹介していきたいと思います。
つづく
