新幹線接続路線導入派 VS 在来線の幹線導入派 4
東海道新幹線開業から7年後の1971年。名古屋と長野を結ぶ新幹線との連絡特急「しなの」は、1日3往復しかないことから輸送力不足が問題になっていました。また、名古屋-長野間の所要時間が3時間58分と、新幹線のフィーダー特急にはふさわしくない速達性でした。そこで風前のともし火だった新幹線接続路線導入派が秘策に打って出ます。その秘策とは……
試験走行で好結果だった591系のオーバースペックな部分を見直し、あくまでも山岳直流路線に絞った新車両である381系を試作を作らずに、最初から営業量産車として登場させたのです。
その結果、この381系の製造にはほぼ1年足らずという短い日数で、1973年7月のダイヤに合わせるべく9両6編成を揃わせました。
実は、この試作を作らずに最初から営業量産車として登場させたのには大きな理由があったようです。
あくまでも筆者の勝手な推測ですが、591系を量産化することで、「ひばり」をはじめとする在来線特急の所要時間を、ヨンサントオ改正時よりも更に短縮できる目途が立ったこと。それによって振り子システムを採用した車両の導入が、在来線の幹線導入派に大きく傾いていたのかもしれません。
また、新幹線接続路線導入派は591系の振り子システムに着目し、名古屋ー長野の新幹線連絡特急キハ181系「しなの」の所要時間短縮を、在来線の幹線導入派には内密に水面下で進めていたのかもしれません。あくまでも名古屋ー長野間の路線環境にはオーバースペックの591系の部分をそぎ落とした設計で、381系「しなの」を誕生させたのではないでしょうか。
通常このような場合、量産車両の前に試作車を造り、様々な試験走行をするのですが、最初から量産車両として登場させたのには、こんな駆け引きがあったのでは………。
1973年、名古屋ー長野を結ぶ新幹線接続特急としての381系「しなの」の誕生は、それまで国鉄内部を二分していた振り子システムを採用した車両の導入に対し、新幹線接続路線導入派と在来線の幹線導入派との戦いに終止符をもたらす結果に
なりました。

つづく
